久し振りに自転車に乗っておでかけ。
新聞に載っていた修復された「待君之碑」を見に行く。
台座の石くみが傷んできて、崩れる心配があるとのことで修復していたのが、このほど完成したとのことだった。
終戦間際に満州のソ連との国境近くの報国農場に開拓農兵として派遣され、ソ連の突然の侵攻で逃げまどいたくさんの人が亡くなった。
ほとんどが、まだ14.5歳の少年たちだったとのこと。
先月に見学したときに、高齢な人がお二人が暑いなか、一生懸命にセメントを練って作業しておおられた。
まさかその人たちが慰霊碑を建てられた生還者の人たちだとは知らなかった。
知っておれば、もっといろんなお話を伺うのだった…。
行政にも頼らず、自分たちの力で修復作業をされたと言うから素晴らしい。
90歳とのことだがなんと元気なことだろう。
見習わなければならないと思った。
帰り道に庄川で