福浦の旧灯台から新灯台まで海岸沿いに約1キロ㍍近くの散策路がある。
全く車も人も通らない波の音だけが聞こえる狭い道だ。
「腰巻地蔵」を求めてその道を歩いたのだが、ちょうど中間ほどに「極楽坂」というところがあった。
目に入ったのは古い崩れかけたような無数の無縁仏の墓だった。
あまりにもその光景が背筋が凍り付くほどのもので恐くって写真を撮る気にはなれなかった。
案内板があり、それを読むと遭難した北前船の乗組員や他国の人たちの遺骸を、この地の寺で弔って無縁仏として葬ったとのこと。
約300体の霊があるらしい。
しっかりとした墓もあれば、ただの石ころのような墓もある。
それがみんな道に向かっていので何やらみんなからこっちを見らているような気持になりつい小走りにそこを駆け抜けてしまった。
あとで地元の人に聞くには「遊女」の無縁仏もあるとのこと。
腰巻地蔵のように、この福浦の港には乗組員相手の楼閣もあって遠く離れた地から連れて来られ遊女として悲しい一生を終えた人たちがいたようだ。
なお無縁仏として葬られた人の中には寺の過去帳から現在の子孫に連絡が取れ、関西方面からこの地を訪れ晴れて遺族の焼香を受けたケースもあるとのこと。
なお、この福浦は昔、渤海という国からの使者が訪れたことでも有名。
中国、朝鮮からは自然の海流でこの福浦に流れつく。
ここに迎賓館があり、京の都に使節として赴き、帰りはこの福浦で新しく船を造り本国に帰った。
福浦ってそんなすごい所なのだ!
新しい灯台の下に降りてみると流れ着いたペットボトルが無数あった。
手に取ってみるとそれはやはり他国のものだった…。