芹谷野用水を調べていたら、こんな水路橋があることを知った。
射水市梅ノ木…、どこなのだろう?
櫛田神社の後ろのあたりと言ったらいいだろうか。
地図を頭に入れて行ったのだが、やっぱり迷ってしまった。
用水は和田川をまたいで大門生源寺方面に山の中に進む。
この芹谷野用水は庄川の弁財天辺りの取水口(現在は合口ダム)から庄川右岸の約10キロにわたる小高い丘陵「芹谷野台地」に灌漑して更に射水群の水戸田(大門)までの約30キロ㍍あまりに庄川の水の恵みを与えている。
時を遡れば江戸時代、寛文3年(1663年)島村の折橋九郎兵衛が戸出の十村、川合又八に申し立て、賛同を得て加賀藩の許可をもらっての大工事だった。
10年あまりにもかかったとのこと。
今みたいな重機などはないから、すべてが人間の力と働きだったから、その厳しさは目に浮かぶものがある。
掘り進む岩石一升は米一升と言い伝えられているとのこと。(当時は米は高価)
そのお陰で、この丘陵には20もの新しい村ができたのだった。
この構築物は当然、後世のものと思うが、それにしても歴史を感じさせるものがある。
好きだ!こんなの見るのが…。