さっそく「兵式飯ごう」を持って氷見海岸へ!
オートバイ乗りの友人も駆けつけて真剣にご飯を炊く。
きょうは友人の分もあるので1合半。れるくらい。
うち蓋にレトルトカレーを仕込む。
風がものすごく強く、風防がとばされるくらい。
火が安定しなく、時間がかかってしまった(30分ほど)
おまけに水が多かったせいで柔らかいご飯になってしまった…。
でもなんとかカレーライスになった!
Tシャツ一枚で来たら山頂は風も強く、肌寒いくらいだった。
どんより曇っていて、きょうは見晴らしがよくない。
それでも新幹線が上り、下りとも順調に走っているのが見えて、世の中の復活が感じられる。
ダイソーで買ってきた「焼き鳥缶詰」、レジはすごい列だった。
誰かが、この焼き鳥をご飯に入れて炊いたらおいしかったと言っていたので試してみることにする。
煮こみにするはずだったが、あまりにも毒々しいかと思い、炊きあがってから混ぜることにした。
半分ほど冷たいお茶のつまみになってしまったので、これっくらいになった。
いつもの丸美屋の「のりたま」もかけてみる。
おいしそう!
そう、おいしかった!
きょうは米持参で、現地で水に浸した。
無洗米ではないが、とがずにそのまましばらく浸した。
固形燃料、忘れたのでガスを使う。
火力が固形燃料よりも強いので、火加減と時間の調整が微妙に難しい…。
でも慣れたもので、5分ほどしてふたをとって、少しスプーンでかき混ぜるのがコツ。
10分過ぎた頃からブツブツと煮えてきて吹きこぼれが出始める。
固形燃料の場合は吹きこぼれの心配は、ほとんどないのだが、どうしてもガスの場合は火力を弱めても吹きこぼれる。
きょうは特にこぼれたので水を補給した。
ご飯を炊いている時は、蓋をはぐるなと言うが、そうでもない…ような。
いつもよりコゲは多かったが、おいしいご飯が炊けて。
もう100%の自信でご飯が炊ける。
ダイソーで「ミスティー」が¥500で販売されたそうなので次回は最も理想な飯ごう「ミスティー」を使ってみたいものだ。
きょうは珍しく山頂で二人も人に会った。
きのう能登の帰り、氷見で買い物。
残高が4千円近くあったので大丈夫だろうとレジに行ったのだが、レジ操作中に妻が追加の品物を次から次へと差し出した。
おかげで、まさかの100円ほどの不足。
急遽、3千円をチャージして清算を終えたのだが、車に戻って確認すると残高が1万3千円くらいになっていてびっくり。
きっと慌てていて一万円をチャージしたのだろうと思っていたら、三千円のチャージも記帳されていた。
なんで?
お店の人が操作を誤ったのかなぁ?
いろいろ考えたがわからず…。
なんと、いつのまにやらオートチャージになっていて残高が三千円を下ったら一万円が自動でチャージするようになっていたのだった。
誰がした?
いやはやもう完全に痴呆が入っているようで自分のしたことをすっかり忘れてしまっている。
5%が還付されると言うので、この頃はすっかりキャッシュレスになった。
とくにペイペイはスマホをかざすだけで処理できるので便利だ。
しかし「打ち出の小槌」のごとく、どうも乱発し過ぎたようで通帳のほうが真っ赤になっているのだった。
現金を通さないので金銭感覚が鈍ってきてしまっている。
来月からは還付もなくなるようだし、すこし引き締めて行かねば…。
また孫の顔を見に能登に行く。
ついでと言っては何だが近くを散策する。
世界一長いベンチそして岸壁の母
♪母は来ました…の歌詞で有名な「岸壁の母」
その母「端野いせ」さんは、この富来町の出身とのこと。
道の駅には、詳しい資料もある。
戦死したはずの息子「新二」が実は中国で生き延びていたと言う驚きの裏話もある。
「事実は小説より奇なり…」ということだろうか。
断崖絶壁の淵を歩いたのだが、本当にスリルがあって身が固まった。
こんなところに義経の一行の船48隻も、ほんとうに隠したのだろうか…。
汗をかきながら道を戻ると老夫婦と出会う。
「この先、どうなってますか?」
「断崖絶壁の所があってとってもスリルがあっていいんだけど、お年寄りには危険だし、ここからはけっこう歩かなくてはならないからよしたほうがいいです」
奥様の足が不自由そうだったので、そう言ったのだが御主人の方はすっかり興味が沸いてきたのか奥様の止めるのも聞かずさっさと先に進まれた…。
グーグルマップを見ながら千保川を遡上すると行く着くところは何と「千保神社」だった。
もっとも川の流れを確認できるのは少し手前のこの辺りまで…、それも「用水」って感じ。
ちょうど工事をしている人がいたので「これって千保川?」って聞いたら、
「これはただの用水やちゃぁ、千保川ちゅう言うたらもっと大きいやろう」と簡単に否定されてしまった。
しかし、まちがいなくこれが昔の千保川の流れだと信ずる。
すこし離れたところには「舟戸口用水」という大きな流れがあるので現在はそれが千保川の流れなのかもしれないが…。
これが千保川だなんて誰も信じないよね…。
昔は他町内の子供とは、なにかと仲がよくなかった。
川向うの町とは特に仲が悪く、よく千保川をはさんで石を投げあった。
夢中に投げているうちに向うから特攻隊がいつのまにやら背後に来ており、ボカボカに殴られたものだった。
今では昔のように子供がたくさんいないので、このお地蔵様もさぞかし退屈なことだろう…。