毎年、福光の「雪あかりまつり」に行っているが、巨大紙風船が上がったのを未だに見ていない。
だいたいこの時期は寒波が到来していて雪が降るのはいいのだが、この地域は風が吹き荒れる傾向にある。
きょうは雨が降っているが風は吹いていないようなので期待して出かけた。
12時に上げるとのことで10分前の状態、準備万端の様子だ。
上がった!
紙風船もいいが、こっちの「岩魚焼き」もいいなぁ…。
自転車(MTB)で庄川峽を目指す。
道路には雪がないがところどころ凍り付いている箇所があり要注意。
普段走る自転車道路が雪で走れないのが残念だ。
途中、先月にも寄った砺波市宮村にある景完教寺の「待君之碑」の前に立つ。
雪にかぶった碑をながめていたら「何か御用ですか?」と通りがかりの車の中から女の人が声をかける。
聞けば、この寺の奥様とのこと。
さっそく疑問に思っていたこの碑の正式の読み方を聞いてみる。
「たいくんのひ」と読むとのこと。納得
この碑にある「在満報国農場」に農兵として満州に渡って、そして帰らなかった若者たちは砺波地方の若者たちだけではなく富山県全域から招集されたものだともわかった。
まだ二十歳にもならない10代の若者たちだった。
満州に行く前に、この砺波で教育訓練があったとのこと、そして数少ない生き残ってい
る人が、この砺波地域にいるとのことだった。
もうかなりの年輩になるようだ。
是非、会ってお話を聞いてみたいとおもうのだが…。
そのうちにこの碑のことは誰も語ることもなく忘れ去られてしまうかもしれない…。
奥様もそれを心配しておられた。
「また、よかったらお茶でも飲みにいらっしゃい!」
きょうは、ほんとうに出会ってうれしかった人だった。
そのあとは庄川峽
きょうも、おいしいものを食べさせてもらい感謝!
まだ小学生の頃のことだ。
二年前に亡くなった兄が盲腸で入院したことを思い出した。
何故に覚えているのかと言うと、その日が「節分の日」で病院の看護婦さんが廊下に「鬼は外、福は内」と豆を撒いていおられたからだ。
今の病院と違って、和風的な病院だった。
母が泊りがけで付き添いしたので、末っ子でべったりの自分も病院に一緒に泊まった。
そして次の朝、病院からランドセルを背負って直接登校したことが今でもすごく強烈に覚えている。
なにか全く普段とは違う環境に、ドラマの主人公にでもなったかのような気持ちだったんだろう…。
やのちゃんから朝早く(5時半)から「きょうバーベーキュをしよう!」とメール。
夜8時には寝るそうで朝は3時頃から目が覚めているとのこと。
オラよりも若いのに全くの歳よりだ。
約束の11時半前に着いたが彼はもう来ていた。
それも自宅からの自転車走行の模様をライブ配信していたので驚き!
自転車に取り付けたスマホで全国に生中継している。
恐ろしい時代だ。
素人がこんなことを簡単にできるなんて…。
BBQをやっている間もライブしているので馬鹿なことも言えない…。
もっともこんなライブを見ている人はそんなにいないと思うが…。
きょうは格別に良い天気なので、あたりを歩く人も多かった。
ほんとうに、このまま雪は降らずにおわるのだろうか。