きょうは午前中は地元の歴史勉強。
武田茂兵衛という地元の豪商だった人の話を紙芝居を使っての講義。
名前からわかるが、やっぱり武田一族に繋がるとのこと。
戸出野神社の大きな石の鳥居に、その存在感を知る。
高岡、伏木の名たる商人達がが、こぞってこの人にあやかりたいと神社に寄進しているほどの人だ。
話の中に「淀城」が出てきた。
あの淀君がいた城かと思ったら、そうではなく稲葉一族が幕末まで城主を務めたたという城とのことで、前者は「淀古城」として区別される。
その稲葉家から借金の型に取ったのかどうかわからないが遠く、山城国から運んできた
のが菩提寺である願性寺にある山門とのことで驚く。
と言うことは淀城にあった門ということになるのでは。
早速、現地にも行ってみる。
以前から、よくこの前を通っていたのだが、そんなすごい門だとは思っていなかった。
室町~江戸初期のものとのこと。
一時、荒れ果てていて見かねた地元の人達の手で解体して復元修理を昭和32年頃にし
たから見た目は、そう古く感じない。
この人が竹村屋武田茂兵衛尚勝。
武田信玄に繋がる武田家ゆかりの人で戦火を逃れ、初め有峰にいて、しばらくしてこの
戸出に来たとのこと。
淀城、稲葉家、武田家…、何やら私の頭の中では、いろいろなことが妄想されてくるの
だった。
門に桔梗紋があったことも興味深い。
稲葉家の紋かと思っていたらそうでもないので、住職に質問すべきだったと帰ってから反省。
稲葉家と明智家とのつながり、はたまた徳川家光の乳母として活躍した「春日の局」。
何やら、すべてが繋がっていきそうなドラマが浮かんできそうだ。
帰りは、きれいに咲き誇っているチューリップを眺めて気を静めるのだった。