夏住の石碑がずっと気にかかっていた。
明治の終わりころに活躍した「祭文語り」の家元として活躍した「東錠山」の碑なのだが、その人物のことと「祭文節」と言うものがどんなものなのか興味があった。
以前にも子孫の方の家に行ってみたが留守でなかなか会えなかった。
きょうやっと奥様にお会いできたが、「東錠山」のことも「祭文節」のことも全く、知っておられず残念だった。
ただ石碑の管理だけ任されているとのことだった。
もう10年ほど早ければ、いろんな話も聞けたかなぁと悔やまれる。
旧北陸街道を、ここ夏住から矢部~木舟~地崎~芹川へとMTBで走ってみた。
くねった道が、さも旧街道の面影を残している。(矢部に入る前)
矢部の一里塚が周辺にあったと言われるところ。
街道筋には松が植えてあった。小矢部市岡地内
勅使桜
戊辰戦争の際に官軍が休憩したという記念に、地元民が桜を植えたとか。
芹川の一里塚
今でいうなら道の駅みたなものか。
一里ごとに、このような場所があったようだ。
まだまだ先に行くと埴生から倶利伽羅山に登ってしまうのできょうはこれで帰ることにする。
きょうは暖かく、汗をかいた。
きのうは寒いくらいだったので、この頃は何を着たらいいのか迷ってしまう。
帰ってきてからのビールのおいしかったこと!