きょうは地域の勉強会(戸出野語ろう会)で春日(かすが)と徳市(徳市)を現地にて歴史探訪。
講師は春日地区は坂東氏、徳市は小芝氏。
まずは春日公民館にて両氏のお話を聞く。
春日の地名の由来は大和の国から鹿を伴って諸国修行に来ていた吉江定明なる者が
亡くなった鹿を祠を建てて(春日神社の前身)供養し村を開いたことから始まる。
徳市は徳大寺家の荘園でもあったことから、増山城が上杉謙信に攻め落とされた際に落武者が住み着き、徳大寺の徳を取って徳市としたのではないかとのこと。
共に、庄川の川筋が変更される前までは荘園でもあり肥えた土地だったが、流れが変わり暴れ川となったため、なんども洪水に見舞われている。
きょうはその中で、変わった神社を拝見。
なんとこの神社は堤防上に建っているとのこと。
何度も洪水に遭っている村人の知恵だったのだろう。
天保3年(1832)、再建の際にこの高台に移築された。
官有地だったが明治13年に国から正式に許可を得ている。
そして何より、興味深いのが、この堤防が「霞提」と言われる昔の治水事業の策だったことだ。
治水事業に詳しい坂東氏の話を聞いてもなかな理解できないでるのだが、なんでも川の流れに逆らって逆流させて洪水を弱める策なのだそうだ。
「カスミ提って知っておられますか?」
そう聞かれたときは、こんなところに料理屋でもあるのかと思ったほどだった。
もう一つは意外とみなさんが知らなかった「庚申塚」。
ちょいと村はずれに行けば、どこにでもありそうなものなのだが…。
春日のは道路から外れたところにあったのがおもしろかった。
何のことはない、昔はこの塚の前が本通りの街道(中筋往来、井波街道)だったわけだ。
なお、庚申の意味が分からないという人が意外と多いのだが、人間には「三尸(さんし)虫」と言う虫がいて庚申の時に体外に出て閻魔さんに、その人の悪口を言いつけて寿命を縮めさせるので一晩中寝ずに過ごす行のこと。