てっちゃんの「きときと日記」

毎日が楽しい日曜日!

得能家と一編上人

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先日(27日)、得能康生氏の「義仲と巴」という題の講演を戸出大清水公民館で拝聴した。
我が町にも「巴町」があり、巴御前の生地との伝説もあることからの縁でのイベントだったと思う。
「義仲と巴」の話もなんなのだが、伊予の国の河野水軍の流れ、福光の十村だったということから以前から関心があった。
岩倉政治著「田螺のうた」にある南砺地方にあった一揆「宝暦騒動」の際には十村役として得能家はどのように動いたのか…。
知り得ているだけのことを聞きたい思いだったが、
「ご先祖は伊予の国の出と聞いていますが、この地に住み着いた由縁は?」
その程度の質問をするのが精いっぱい。
そこで出て来たのが意外や「一編」と言う人物だった。
伊予出身の同じ河野一族だとのことだった。
あの「念仏踊り」で有名な時宗の開祖と言われるお坊さんだ。
尼僧が半分を占めていたという集団で鉦を打ち、太鼓を鳴らして群衆を引き寄せ「南無阿弥陀仏」を唱える新興宗教だった。
瞬く間に民衆がとりこになってしまった。
その游行といわれる布教の際に、この地に子孫が落ち着いたのかも…。
時代を先駆けた人だった。
坊さんと言うより、立派な芸能人だ。
今なら芸能プロデユゥサーとして大成功し大金持ちになったかも。
でも「一編」さんは無欲な人だったとのことだから偉い。
私の先祖は京都から来たという染め物師「外次郎」しかわからないが、
ずっと歴史をさかのぼって、こんな立派なご先祖がわかる家柄の素晴らしさ。
さすが「得能家」の人だ。
講演後のご自慢の「法螺貝」もすばらしかった。

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