これは妻の実家にあった古しい写真。
右から二人目の義父がまだ青年の頃で出征していくのは、真ん中にいる叔父の健次さんだ。
祖母もま若く、昨年亡くなった義母はまだ嫁いでいない時のものだ。
このように華やかに出征したのは、まだいい時期のようで敗戦が濃くなったころの出征は、このような華やかさはなかったと言う。
きょうは、そんな昔の話を地域の年配者の方々から、いろいろ聞かせてもらった。
まさに「語り継ぎの会」だった。
あの8月15日の日、ある人は雑音が多く天皇陛下の言葉は聞き取れなかったと言う。
二日後にアメリカ軍の飛行機が低空飛行してきて初めて敗戦を感じだという。
ある人は血気盛んな年ごろだったので神国「日本」が負けるはずがないと、仲間と血判状を作って断固決戦と役所に訴えに行ったと言う。
ある人は、これでやっと「白い米」を食べれるようになると安堵したという。
なかなか、こんな貴重な話を聞く機会はなくなってしまった。
この人達も、そう語ることもなかっただろう…。
アメリカと戦争をしていただなんて信じない若者もいるくらいだ。
戦後まもなく生まれた私の年代は、アメリカ軍配給の粉ミルクのお世話にもなり、かすかに戦争の面影を感じ取っているが今は「戦後」と言う言葉さえ消えつつある。
いい機会だった。
亡くなった義母からも、いろんな戦争時期の話を聞かせてもらったことを想いす。
きょう二時間あまりの短い時間だったが6人の戦争経験者の方々から貴重な話を聞かせてもらったのだが、もうみなさん高齢だ。
忘れぬうちに、人前にでれるうちに、こうして子や孫に戦争の悲惨さ、虚しさを伝えていかねばならないと思われたことだろう。
きょうは「戸出を知る会 25周年記念公開講座」の特別企画だったが、これからもこんな「語り継ぐ会」は催していかねばならないと思ったのだった。