百万石の名にふさわしく高さは6.8Mもある。
ほんとうは一対で納めるはずだったが、船で運搬中に川に落としてしまったそうな。
その片割れが確か鴨島町の「教恩寺」にあったはず。
高校生の頃、酒屋のアルバイトをしていた時、毎日のようにこの寺に寄っていたから山門の前に何やら由緒あるものがあると聞かされていたのだった。
早速、気がかりなので行ってみることにした。
あれから50年余りも経っているのか…。
すっかり山門も新しくなっていて目当ての物も見当たらない。
境内を探していたら近くの人が通りかかり「探し物は、これやろ!」と教えてくれた。
これやったかなぁ?と一瞬思ったが、間違いなくあの墓所の灯篭の一部分「火袋」だ。
千保川から拾い上げられたあとは他の石碑の台座として使われている。
大したものだ。
江戸時代の初めに大阪から運ばれてきて、一時は川に落ちて姿は消したが、また拾い
上げられこのように立派にお寺に鎮座している。
この騒動のいきさつを知りたいものだと思う。
字は消えかけているが拾いあげた人の名前などが書かれているとのこと。
誰か詳しい人、いないかなぁ…。