氷見の風景
いつもいる「じいちゃん」はいなかった…。
淋しく独りで宴会。
トンビも来なかった…。
足湯で、隣に座ったご老人、なんと戦時中はビルマの「泰緬鉄道」に関わった人だった。
そばについていた人、てっきり奥さんと思いきや「娘です」。
「白髪の父が黒く染めて、白髪の娘がそのままで…」と笑う姿がとっても上品できれいな人だった。
信州の上田から団体旅行できたとのことで、もっとお話したかったのだがバスの集合時間が迫って来て思うほど話ができなかったのが残念。
「泰緬鉄道」は第二次世界大戦で日本軍がタイとビルマを結ぶ陸路運送の必要なために連合軍の捕虜6万2千人を使い、そのうち1万2千人もの人が亡くなり、戦後に軍事裁判となった。
「戦場にかける橋」が有名だが、これは事実とは異なることが多く、大変な日本人に対する誤解が生じている。
このじいさんは、まだ若い二十歳の頃の話だろう。
よく生きて帰ってこられたと感心する。
礼儀の正しい、笑顔もみせられ、心のきれいな人だった。
変な雲だった。
ミサイルはあっちから飛んでくくるのかな…。