てっちゃんの「きときと日記」

毎日が楽しい日曜日!

福野鋳物師「藤吉」

城端の「むぎや祭り」に行こうと思っていたのに…。

朝から雨だ。

Y社長から「登坂選手のパレードがある」と電話があるが、行く気にならず。

あの人は「雨女」だな。

祭りの前に行った城端の「善徳寺」には古しい梵鐘が寺の片隅に鎮座していた(吊ってない)。

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これが歴史に残る高岡鋳物師と福野鋳物師との紛争になった問題の梵鐘か…。

宝暦9年(1759)福野の鋳物師「藤吉」が善徳寺に納めたのだが、加賀藩から絶大な権力を与えられていた高岡鋳物師から「高岡鋳物師以外の者がが梵鐘を造るのは許せない」とクレームを入れたのだった。

訴えられた加賀藩も決着がつけられずにいたところ鋳物師の元締め、京都の「真継家」が横暴な高岡に怒り、福野鋳物師を保護したために4年後にやっと決着した。

さて、その問題の梵鐘をよく見てみた。

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これが割れたと言われる所なのだろうか。

割れたというよりも、なにかで強く叩いたようにみえるが…。

中から見れれば、もっとよくわかるのだが、これが鋳物の欠陥から成ったものなのか、外部からの衝撃で成ったものなのか。

「藤吉」は紛争で高岡鋳物師に勝ったのに、その後は鋳物師としては活躍していないのも合点がいかない。

高岡は新湊の祭りにもクレームをつけて紛争を起こしている。

憶測だが、この善徳寺の梵鐘にも相当な嫌がらせをしたのではなかろうかと思う。

高岡市民でありながら恥ずかしい思いだ。

哀れ藤吉、その後がどんな仕事に就き、どんな生涯を閉じたのか…。

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