きょうから4月。
私には関係ないが、いろんなところでは新しいスタートが見られる。
一応、自分も心を引き締めて、これからの生活の渇を見いだそう!
来月の町内活動のウオーキングの立ち回り場所への挨拶に行く。
きれいな奥さんなので緊張して上がってしまったが、ベラベラといつものように、しゃべりまくってしまった…。
朝から妻以外の女性と、これだけ話しをしたのは珍しいことだった。
次は歴史サークルの代表Mさん宅に行く。
Mさんは元教員で現在は旦那さんも亡くなっていて独り暮らしの高齢なご婦人。
縁側で新聞を読んでいる姿が見えたので大きな声で「お早うございまーす」と声をかけるのだが耳が不自由なようで振り向われない。
仕方なく庭まで入り込むガラス戸の近くまで顔を近づけたら、さすがに気が付かれた。
ニコニコして迎えてもらった。
こんなお互い笑顔での対面が一番楽しい。
「永安寺の桜がきれいやよ、見てこられ!」
そう言われるので、すぐ近くのお寺に行く。
何やら赤い幟端を立てているご婦人がおられる。
お寺の奥様だった。
何度かウオーキングでお世話になっているので一応、顔なじみだ。
住職の息子さんが数年前に急死されて現在は、お孫さんが本山に行かれ修行されておられる。
「お孫さん、帰ってこられましたか?」
そう聞くと、何やら大変な修行なようで5年はかかるとのことだった。
呉羽の寺の「涅槃会」で、みんなの前で方丈さんから「これから、この子は修行に出ます!こうしてみなさんの前で紹介した以上、彼はもう絶対に修行が終わるまでは帰って来れないのです」と言って、自分の若いときの同じ状況だった頃の、お話をなさった。
修行に行った本山には毎日のように観光客が来て、その中には富山ナンバーのバスもあって、いつも思ったそうな。
「あぁ、このバスに乗れば故郷の富山に帰れるんだなぁ…」と。
よっぽど苦しく淋しくホームシックにかかってしまわれたのだろう。
そんなお寺のお話をしていたら、きれいに満開になった桜を撮るのを忘れるくらいに時間が過ぎてしまった。
越の彼岸桜だった。
この寺は十村の川合又右衛門の菩提寺。
三代目の又右衛門が利長の高岡城築城の際に城端から桜を高岡まで運んで移植した。
それが今の桜馬場の「越の彼岸桜」。(これはちょっと確認していないが今は若木に入れ替わっているかも)
普通の桜よりも、ちょっと開花が早いようで、今高岡のあっちこっちで咲いているのは、この品種のようだ。
ソメイヨシノはもうちょっと早いようだが、きょうも暖かいので三分咲きの状態から、あっという間に満開となるのも時間の問題かもしれない。
岸渡川でもボンボリが今か今かと灯りを点けるのを待っているかのようだった。