きょうもいい天気なので自転車で出かける。
旧北陸道の夏住地域。
「東錠山」という祭文師(声聞師)の碑が気にかかる。(左)
この近くに生まれた人らしいが、目出度い席や行事には欠かせない人だったのこと。
その師を偲んでの師弟たちが碑を建てるほどだから、それなりの人だったと思われる。
どんな話しをしたのか、どんな祭文をうたったのか、興味があるところだ。
このところ小矢部方面に向かっていくと必ずと言っていいくらいに、この建物の付近を通る。
きょうは思い切って訪ねてみた。
「小矢部市大谷博物館」
あのホテルニューオータニの大谷米太郎・竹次郎兄弟の生家だ。
以前来た時は、これがあの大谷の生家かと思うほど質素な普通な家だったが今は塀も巡らされてさすが大谷の屋敷らしくなった。
裸一貫で財を成した人らしく、そうきらびやかでもないが立派な屋敷だった。
特にお風呂場がきれいなタイル張りで、広く、さすがホテル業を営む人らしく思った。
故郷に帰ると、このお風呂で、ほっと一息をついたことだろう。
案内の人と、おしゃべりが夢中になっていて写真を撮るのを逃してしまった。
十村の内山邸ほどの豪華なものはないが往年の生活を思い起こさせられる品々も
展示してある。
大谷家は、この辺でも特に貧しい家柄だったようで米太郎は満足に小学校さえも出ていないとのことだった。
まさに裸一貫で東京に出て荷役夫として身体を酷使、その体力を認められ大相撲の力士となり生活に道が開いたようだ。
なんと言ってもそのハングリー精神が成功のもとなのだろう。
規模は違うが、やはり苦労して身を立てた亡き父の姿がだぶって見えてくるのだった。
すっかり長話をしてしまい倶利伽羅に行くスケジュールが狂ってしまった。
外に出ると近くの神社は春の祭りの幡が上がっていた。
きょうは歴史道を走って(歩いて)津幡の竹橋の宿まで行くつもりだったが予定は未定。
そこそこまで行って最後は若宮古墳を見て帰ってきたのだった。