城端の善徳寺にある梵鐘。
ああ、高岡って周り中から嫌われていたんだろうな…。
梵鐘は福野の鋳物師が造ったもの。
高岡の鋳物師はこれに文句、難癖をつけて4年間争ったという。
鋳物師の元締めでもある「真継家」から、高岡の傲慢なやりかたに北国筋鋳物師頭役をさし除くと言われ、ようやく解決。
しかしせっかく勝った福野鋳物師だったが何故かその後廃業している。
見えないところで「嫌がらせ」をしたのだろうか。
一方、城端の町中にある「延命地蔵」、由緒書きを読むと高岡の人間として恥ずかしくなってくる。
例の新湊の曳山に文句をつけた事件のあおりの話だ。
もっとも被害を受けたのが城端の曳山だった。
詮議の為、曳山を海路も使って魚津まで運んだ。
それよりも何人もの人が牢屋に入れられていたようだ。
お構いなしということで曳山を持って帰れと言われたが、その費用が馬鹿にならないので、そこで壊したようだ。
実に高岡って「わがまま」だったんだなぁ…。
それが今日まで尾を引いているんでは、と思ったりするのだった。